Careと対話実践に関する合宿
さる週末は大阪というか、りんくうタウンで開催の合宿に参加してきました。

自分が「科学技術と社会をつなぐためのケア概念に基づく対話実践の再構築」というRISTEXのプロジェクトに研究協力者として参加させてもらっているのですが、その合宿でした。
ケア概念というのが、自分自身はまだ学習途上なのですが、Joan TorontoがCaring Democracyのなかで主張している、民主主義(というか政策形成?)のなかで、独立した個人を想定する新自由主義的な交渉による調整に代わり、相互依存を前提とした対話調整への転換のようなことのように思われます。
そういう意味では、熟議民主主義論に近いように思いますし、またあまり議論されていないようですがEtzioniのcommunitarianismに近いようにも思います。僕の交渉学的利害調整志向のコンセンサス・ビルディングプロセスは批判の対象かもしれませんね。
合宿のなかで出てきた論点として、(既存の)相互依存関係を前提とすることで、それにマッチしない人間や考えを排除する論拠(排外主義みたいなもの)としてケア概念が利用されてしまう懸念がありました。そう考えると、新自由主義的な「都市における独立した個人の自由」も捨てたもんじゃないよね、と思えてきます。喧嘩上等、縁切ってBATNA選んだるわい、くらいのほうが個人的にはいい気がするし。まぁ結論は「どっちもどっち」ということなのでしょうかね。
いずれにせよ、こういう場を通じて自分の知識の引き出しを増やしていかないといかんですな。
2026/03/04 8:37 AM - ツイート
