ILC立地選定にみる「科学者」の位置づけ

ILC戦略会議という、素粒子の研究者が自主的に組織化した集団が、脊振山地より北上山地のほうが望ましい立地だという意見表明をしたそうですね。で、記事を斜め読みしていたら、こんな記事がありました。

『ILC計画の旗振り役である■■大の■■■准教授は「科学的、学術的観点で決めるべきであり、私たちの評価内容に間違いがない限り、政府にひっくり返されることはない」と自信を見せる・・・』
引用元: 脊振落選、不満タラタラ ILC誘致、第2ラウンドへ 福岡・佐賀 – MSN産経ニュース

もちろんILCを利用する研究者のユーザー視点による評価は重要でしょう。しかし、それが政策判断とイコールであると断言することは、「政策に関する科学者・専門家」としての専門的知見に基づく発言ではなく、「ILCを日本に立地させたい科学者」としてのステークホルダーとしての政治的主張ですよね。

これが政策と科学をつなぐ際に厄介なポイントで、評価内容は「科学的」だけども、それを意思決定に反映してもらおうとすることは「政治的」行為。しかし、両方の活動をおこなう主体は「科学者」という同一人物にならざるを得ないのですね。

この、「科学者」なる同一人物が複数の役割を担わされていることを、情報の受け手である、政府関係者、市民社会、科学者などが意識できるかどうか、が政策と科学をつなぐ上でのキモなのかな、と思います。

 

2013/08/24 10:32 AM -

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地方の雇用確保としてのグローバル企業立地

都会にいると、経済のグローバリゼーションは、日本国内の「公正」で安定した経済システムを破壊する悪の根源のような気がすることもしばしばです。

しかし、田舎にしばらくいると、グローバル化を毛嫌いして、真正面から否定するのもどうかな?という気がしてきます。というのも佐賀の実家の近くに、アウトレットモールやamazon.co.jpの配送センターがあるのですが、夜8時過ぎにウォーキングで近くをあるくと、かなりの数の若者がこれらの施設から出てきて、駐車場へと向かって歩いていくんですよね。こういう光景は、「意識高い系」の方々からすれば、非サステナブルな自動車依存社会のあらわれだの、資本主義によるalienationだの、と批判の的となることでしょう。

しかし、イナカの民の立場からすれば、「これらの施設が存在しなかった場合に、これら数多くの若者はいったいどこで仕事を見つけることができるのか?ホームレスになれとでもいうのか?」と言いたくもなります。ほんと、イナカって、じぃさんばぁさんばかりで、若い人といえば中高生くらいのもんなのです。アウトレットだのamazonの倉庫だのが立地することで、20歳以上の若者がはじめてイナカに留まることができるわけです。地元に仕事がなければ、都会へ出ていって、(家賃などより高い生活費と比較して相対的に)より低賃金であっても、仕事を探すしかなくなるのが現実です。地元のイナカに仕事があったとしても都会に出ていく若者も多いでしょうが、イナカに残ってもいいけど仕事がなさそうだから都会に行く、という人も多いでしょう。

結局、イナカ側としては、グローバル企業と上手につきあって、若者層への雇用を確保することは間違いではないのでしょう。もちろん、大企業はいつでも撤退できるという強力な切り札を持っているので、グローバル企業から得た種銭を使って、リスク回避と将来の持続可能な成長のための新産業創出や立地誘致などは必要でしょう。しかし、(特に、地域の権力者層や裕福な「意識高い系」が)グローバル企業立地を毛嫌いして立地を阻むことは、雇用を見つけられない大多数の若者をその地域から流出させるきっかけとなり、ひいては地域の衰退につながることになりかねないのではないかと思います。

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2013/08/22 9:45 PM -

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