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Lecture #10: 価値生産と分割 (Creating and claiming values)

交渉学では相互扶助型交渉、統合型交渉による価値生産(価値創造)が注目されがちです。よく使われるWin/Winという言葉の語源も、交渉を通じて、新たな価値を生産する方法を発見することにより、全ての関係者にwin(正の利得)をもたらすというところからきています。しかし、価値生産にばかり着目していては、交渉のひとつの側面しか見ていないことになります。

パレート改善・最適、ZOPAの回をそれぞれ思い出してください。交渉を続けることで、俎上に載せられた合意案が次第に改善されていく「ネゴシエーション・ダンス」を経て、理想的にはパレート最適を示す線の上に乗っかるような合意条件を見つける、というのがパレート改善による価値生産の考え方でした。また理論上、両当時者が同意する領域を合意可能領域(ZOPA)と呼んでいました。

いまここで、2人ひと組のペアが3組存在するとします。そして、それぞれのペアが同じ条件下で交渉を行うとしましょう。それぞれのペアが見せた「ネゴシエーション・ダンス」は下図の通りでした。

点A,B,Cともにパレート最適の線上に乗っかっていますし、いずれもBATNAをクリアしていますから、すべてのペアがWin-Winの状態を達成し、さらに「できる限りよい条件」を得ることができています。しかし、ペア3の甲は、ペア1の結果を見て愕然とすることでしょう。なぜなら、ペア3の甲が獲得した満足度は、ペア1の甲が獲得した満足度と比べて格段に低いわけです。その逆が乙にも言えて、ペア1の乙はペア3の結果を見てがっかりすることでしょう。

つまり、第三者的立場からみれば、すべてのペアがパレート最適に達した「よい交渉」をしたのですが、交渉をしている各自にとってみれば、かならずしも最高の交渉だったとは思えないでしょう。これは交渉に必ず存在する「価値分割(craiming value)」が影響しています。交渉で価値を生産したとしても、まだそれは二人の間の共有物として存在するわけで、いつかは価値を「分割」しなければなりません。実際の交渉では、価値生産と価値分割は同時に行なわれます。ネゴシエーション・ダンスの中で、生産された価値をいかに自分が獲得していくか、が最終的な交渉結果の良し悪しにつながってしまいます。

よって「価値生産」と「価値分割」は交渉の間を通じて常に緊張関係にあります。たとえば、価値分割の時点でできる限り自分が大きな取り分を得るために、価値生産の時点で相手に脅しをかけることができます。価値生産の方法が見つかった時点、すなわち上図では右上に進むことができそうな合意条件が見つかったときに、「自分の取り分を大きくしてくれないのなら、この合意条件はなかったことにするよ」と脅すことで、より自分に得になるような方角にねじまげよう(つまり北北東や東北東へ曲げよう)とするわけです。ここで一方が脅しに負けてしまうと、片方が大きく得をして、もう片方が小さく得をする(点Aや点C)のような結果に至ります。この「脅し」の内容を具体的に言えば、「いつでも交渉を止めて他の交渉に移ってもよさそうな雰囲気を醸し出す」ことや「強気の態度」といった表面的な戦略があげられるでしょう。また、「脅し」以外にも、「公平性」や「倫理」といった社会的論拠を持ち出すことによる説得(reasoning)を使ってより大きな取り分を獲得することも可能です。

よって、価値生産だからといって気を抜いていると、「損」はしないけども、相手に比べると「得」の大きさが小さいという結果に至ることになります。AからC、いずれも「合理的」な解ではありますが、人間は概して「取り分が他の人より少ないと不満を感じる」生き物ですから、ペア1の乙やペア3の甲はBATNAを上回る合意に達したにもかかわらず、不満を感じるかもしれません。

交渉力(交渉戦術に関する知識など)のバランスに偏りがある場合、例えば一方の当事者は何人もお抱え弁護士を抱えている大企業で、もう一方は交渉などしたことがない数名の老人だったとしたら、どのような交渉結果が予想されるでしょうか? この数名の老人たちがこのホームページを見てBATNAのことを知り、損をしないような交渉をして、Win-Winの結果にたどりついたとしても、やはり大企業のほうが大きな得をしそうです。つまり、価値分割の結果には、各交渉当事者が有している交渉力が大きく影響してきます。

しかし、そのようなことは社会的に見て許されることでしょうか?理屈上は自由経済なのですから、法を犯さない限りどのような合意でも契約として認められるはずです。しかし、世界中どこでも、多くの人が「弱者」に対して同情をすること(empathy)は明らかです。交渉力が弱いというだけの理由で、比較的少ない利得しか獲得できないことは何となく「不公正」だな、と感じる人のほうが多いはずです。もしこの老人たちが、マス・メディアなどを使い社会的同情を獲得できれば、交渉の戦場(アリーナ)を私的領域から公的領域に拡大でき、社会から見た「公正性」に対する要請から、彼らの大きく交渉力が高まり、多くの人が「公正だな」と思える結果、つまり強者も弱者も同じくらい、もしくは弱者がより多くの「得」をする結果に至るでしょう。

(参考:同情心は食欲、性欲、金銭欲などの欲望と同様に人間の本能の一部、絶対的な事実だと考える人もいます。経済学は人間の欲望、つまり個人の効用最大化を暗黙の前提としているわけですが、政治学では欲望だけでなく同情心も政治行動の前提に含めて考えるべきだという議論が起きています。フランス革命の3つのキーワードを覚えていますか?自由(Liberté)・平等(Egalité)・博愛(Fraternité)です。近年、社会主義諸国の崩壊により自由経済、効用至上主義を暗黙の了解だとみなしている議論をよく見かけますが、長い歴史を見れば西洋でも人間が他の人間を助けることは社会として当然のことだと思われてきたのです。)

細かいことはおいといて、相互扶助型交渉、統合型交渉をしている場合でも、価値分割の存在に常に注意しておく必要があります。交渉による「価値生産」(とか「価値創造」)という言葉の響きにひっかからないようにしてください。