被災者の声に基づく課題分析
(ステークホルダー分析)調査

(Ver 2.0: 2011/4/21版)

東京大学公共政策大学院  特任准教授 松浦正浩

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分析結果のポイント

  • 現地の被災者の多くが雇用機会を求めており、現地での雇用対策が必要
  • 被災地における事業再開に向けた事業主の動きが見られ、融資等による支援が必要
  • 子どもの教育環境が、子育て世帯の今後の仮住まいを決める上で重要な要素
  • 子どもたちは友人とのつながりを求めている
  • 復興に向けた見通し、方針が不透明であることが、被災者に不安を与えている
  • 避難が落ち着きはじめたことから、生き残ったことを申し訳なく感じる、海が怖いなどといった、震災・津波による精神的ストレスが目立ち始めており、ケアが必要
  • 助け合いを通じて集落や避難所内の被災者間の連帯感がさらに強化されており、仮設住宅地の運用や復興まちづくりにおいて配慮と活用が必要
  • 避難生活に必要な物資、エネルギー、医療等へのニーズは落ち着きを見せている
  • 避難所の環境改善がみられるが、役場等からの情報不足は引き続き問題

要旨

 震災発生から1ヶ月以上が経過したものの、原子力災害が深刻化したことなどからいまだ復興に向けた道筋は混迷している。しかし、被災地域での生活支援や復興に向けた活動は、現地で被災された方々のニーズや関心に合ったものであることが望ましい。本調査は、朝日新聞朝刊の「いま伝えたい 被災者の声」欄に寄せられた被災者の生の「声」をもとに、質的研究支援ソフトウェアを利用したステークホルダー分析を行い、現地の課題、被災者のニーズや関心を抽出・整理した。

 3月掲載分をまとめた第1報を4月4日に公開したが、4月1日から15日まで掲載された「声」を分析した結果を第2報としてここに公開する。4月に入り、避難生活に必要な物資等の供給は落ち着きが見られ、避難所等における助け合いを通じた連帯感も強化している。しかし経済活動はまだ再始動の緒についたところで、現地の多くの被災者が雇用機会を必要としているほか、一部の事業主も再開に向けて動き始めたところで、長期的な復興に向けた事業と雇用の再生を勢いづけるための支援がいま強く求められていると考えられる。また、新学期を迎え、子どもに係る「声」も多い。子どもたちは友人とのつながりを強く求めており、親は今後の仮住まいの選択において子どもの教育環境を重視している。今後、仮設住宅地の運用や復興計画の検討に向けて、集落等の連帯感に十分配慮して活用するとともに、経済活動の安定回復に向けた迅速な支援、そして新学期を迎えた避難先の子どもたちが安心して学校へ通えるような支援もまた同時に必要である。


T.本調査に用いたデータと分析の方法

 朝日新聞が2011年3月17日より掲載している「被災者の声」欄に掲載された被災者等の「声(コメント)」のうち、4月1日から4月15日掲載分までの185件、210名の「声」を分析対象とした。テキストデータは朝日新聞データベース「聞蔵U」を利用している。それぞれの被災者の方々の「声」は個別のテキストファイルとして収集し、質的研究支援ソフトウェアNvivo7を利用し、本調査の実施者(東京大学公共政策大学院 松浦正浩)が、185件すべての「声」に目を通しながらコードを生成しつつ、コーディング、再コーディングを行い、類型、階層等を検討することで、U章以下に述べる、被災者の「声」の類型を整理した。

 分析の対象とした「被災者の声」欄については、「声」そのものについて記者による編集が加えられていること、紙面に掲載する「声」の選択についても編集者、記者の主観が影響していることは認めざるを得ない。よって本調査結果も、多様な被災者の意向や懸念を網羅的かつ客観的にとらえていると自信を持って保証できるものではない。しかし、復興に向けた迅速かつ適切な対応は引き続き求められるところであり、また、現地における広範な聞き取り調査は救援復興に向けての妨げとなりかねないことから、新聞掲載の「声」は二次データではあるが、分析対象として利用させていただくこととした。

 なお、対象とした2011年4月1日〜4月15日掲載の201名の「声」について、対象者の属性は以下の通りである。

性別

128

82

 

年齢

0〜9歳

6

10〜19歳

34

20〜29歳

13

30〜39歳

25

40〜49歳

25

50〜59歳

33

60〜69歳

46

70〜79歳

23

80〜89歳

5

 

お住まい
(出身地)

青森県

8

 

八戸市

8

岩手県

82

 

 

 

 

 

 

 

大槌町

12

陸前高田市

12

釜石市

6

宮古市

6

山田町

6

大船渡市

4

田野畑村

2

一関市

1

野田村

1

宮城県

66

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石巻市

23

仙台市

10

南三陸町

9

女川町

5

気仙沼市

4

名取市

4

山元町

3

七ケ浜町

2

岩沼市

1

塩釜市

4

蔵王町

1

多賀城市

1

東松島市

1

亘理町

1

 

 

 

福島県

79

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いわき市

24

南相馬市

13

浪江町

9

大熊町

6

飯舘村

4

双葉町

4

葛尾村

3

相馬市

3

新地町

2

富岡町

2

広野町

2

川内村

1

須賀川市

1

楢葉町

1

二本松市

1

茨城県

7

 

水戸市

4

北茨城市

2

鉾田市

1


U.「被災者の声」の類型化結果

 185件の「声」について、その内容を類型化したところ、以下のように整理された。各類型の具体的内容については次ページ以降において解説する。


1.震災後の対応に関する「声」 

1−1.安否の不安 
1−2.地域における助け合い関係と連帯感の形成 
1−3.感謝の気持ち 
1−4.震災前の記録を求める気持ち 
1−5.震災前の生活の再認識 
1−6.津波・海に対する恐怖心 
1−7.生存への申し訳なさ 
1−8.その他 

2.避難に伴うニーズに関する「声」 

2−1.物資・エネルギー関連 
1)食糧;2)衣類、靴など;3)風呂;4)ガソリン

2−2.医療、精神的ケア関連 

2−3.生徒・児童・幼児関連 
1)生徒・児童の教育環境;2)生徒・児童の友人関係;3)生徒・児童・幼児のレクリエーション;4)生徒・児童・幼児のその他ニーズ

2−4.避難所生活関連 
1)避難所の環境改善;2)プライバシーや気くばりなどからの疲れ; 3)情報不足

3.原子力災害関係の「声」 

3−1.情報公開、見通し明確化への要望 
3−2.一時帰宅への要望 
3−3.原子力災害からの教訓 

4.復興とこれからについての「声」  

4−1.今後の見通しについての「声」  
1)情報不足・方針不透明による不安;2)雇用問題;3)生活の手段を失ったことの不安、喪失感

4−2.今後の住まいに関する「声」  
1)地域に残りたい、地域への愛着;2)仮設住宅(応急住宅)が必要

4−3.産業復興に向けた「声」  
1)事業再開に向けた気力のあらわれ;2)暫定的な事業の芽生え; 3)風評被害

4−4.その他  
1)復興支援・原子力災害補償;2)ハンディキャップを抱える人々への支援


1.震災後の対応に関する「声」

1−1.安否の不安

震災から3週間以上が過ぎたため、安否確認が次第にとれ、家族等の安否に関する「声」の相対的な割合は減少しているが、4月上旬にも10件の「声」があり、安否確認を求める気持ちは一部の家族に強く残っている。特に原子力災害により避難を余儀なくされた人々は現地に戻れずに安否確認できないことへの苛立ちが感じられる。

自宅ごと妻が流された。原発の事故がなけりゃ母ちゃん捜せんのによ。早く捜してやりたい。跡形もなくなっていたって、取ってくる物がなくったって、家がどんななったか、やっぱり自分の目で見たいさあ(浪江町・4/14)

1−2.地域における助け合い関係と連帯感の形成

 3月同様、震災直後の炊き出しや避難所での共同生活を経て、地域の人々でお互い助け合って生活していこうという連帯感、協力関係、社会関係資本の形成が見られる。被災地域は震災前から地区内住民の連帯感が強いという報告もなされているが、被災地での相互扶助により信頼関係がより一層強化されたと考えられる。このことが、地域に残り、集落等の仲間で集まって生活したいという強い要望につながっていると考えられる。以下のような「声」が22件みられる。

人手が足りないだろうと思い、震災の翌日から小学校に寝泊まりして、物資の搬入や掃除を手伝っています。育った町はひどい状態になってしまったけど、避難所の子どもたちの顔は明るく、元気をもらっている。将来はこの町の復興の役に立てるような職業に就きたい(山田町・4/8)
みんなで布団や米、みそなどを持ち寄って物資不足を乗り切りました。仲間意識が強い地区なので、村外に移転する人はいないでしょう。限界集落になるのも時間の問題ですが、できるだけみんなで暮らしたい(野田村・4/9)
今日は男の人たちが余震で濁った井戸を掃除してくれた。つらい時でも地域が一つにまとまっているから、動きたくないんです(南三陸町・4/14)

ただし、失ったものについて考えることを避けるために作業に従事する被災者もいる模様で、今後、復興が進み、現在は元気に活動している被災者が、失ったものについて直面せざるを得なくなった段階での心理的ストレスの急増が危惧される。

じっとしていると気がめいるので、食事の手配などボランティアの手伝いをしています。何かしていると気が紛れますが、緊張感が切れたときにどうなるのかが怖い(広野町・4/4)
家族を亡くした人に限って、笑顔でまき割ったり、お湯を運んだりやってるよ(陸前高田市・4/3)

1−3.感謝の気持ち

 4月に入り、救援物資の配給やボランティア活動も安定的に行き渡るようになったためか、支援に対する感謝の声も増加傾向にあり、20件の「声」がみられる。

おれは感謝の言葉をあまり口にしなかったけど、今はいろんな人に助けられているから、声を大にしてありがとうと言いたい。協力してくれる息子や若い人にも、支援物資を届けてくれる自衛隊にも感謝したい。本当にありがとう(釜石市・4/2)
支援物資でもらったジャージーの上下に、学校の指定なのか、『○○』と刺繍(ししゅう)がしてある。何げなく脱いだ時に、裏側のタグに『頑張って生きて!』と書いてあることに気がついた。世の中にこんな親切な人もいるんだなって、涙が出ました。支援物資で、どんな高い物をもらうよりもうれしかった。『○○さん』に励まされて生きているようなもの(大船渡市・4/10)

1−4.震災前の記録を求める気持ち

 被災地へ戻って自宅の片づけなどができるような状況になってきたためか、家族の記憶を蘇らせる品(特に位牌)を探す被災者、そしてそれらを発見したときの感情についての「声」が11件寄せられており、これも4月に入ってから増加傾向にある。

仏壇の位牌(いはい)をさがしているんだ。がれきの中だから、なかなか見っかんないだべ。両親のだ。いよいよ無いときはお寺さんに新しく作ってもらうしかないけれど、お寺のお坊さんも亡くなったんだよね(いわき市・4/7)
あっ、こんなところに孫の写真が。よかったあ(いわき市・4/9)
ただ、思い出のものがねえか探しに来た。家は流されて何も残ってねえけど、ユリの花の球根があった。この家に住んでいた思い出なんだ。今住んでる借家のところで植え直して、大事に育てたい(名取市・4/15)

1−5.震災前の生活の再認識

 震災前の記録探しに加えて、避難生活を通じて、震災前の生活を反省、ふりかえる「声」も8件みられる。震災により従来の日常生活を支える基盤や家族を失ってはじめて、その重要性に気づいたという「声」であり、これらは震災復興のみならず、被災してない全国各地で共有すべきものであろう。

震災で電気もガスも止まって不便だった。これまで当たり前だと思っていた生活が、とても幸せだとわかった。震災も受け止めて、これから生きていきたい(大槌町・4/2)
地震のあと、夫と5日間連絡が取れなかった。周りの人がだんだん彼の話をしなくなって、夜になると涙が出た。もうだめかなと思ったときに帰ってきてくれて本当にうれしかった。いまはただ、いてくれるだけでうれしい。・・・毎朝『気をつけて。いってらっしゃい』と心から言う。もう会えないってことがあるかも、と思うから(仙台市・4/13)

1−6.津波・海に対する恐怖心

 震災直後の「声」ではみられなかったが、4月に入り、一時避難や生活再建などについて考えるようになったことから、津波や海に対する恐怖心を明らかにする「声」が7件みられる。また、この恐怖心から、前と同じ場所には住みたくないという声も出てきており、今後の被災者の住まい方を考える上で、十分な配慮が必要となる。

集落全体が津波にのまれた。防潮堤も壊れ、もう海を見て住む心境にはなれない(岩沼市・4/3)
子どもたちは元の学校に通わせてあげたいけど、海沿いの学校だったので、今は『海を見るのが怖い』と言う(いわき市・4/4)
多くの人がここで亡くなってしまった。ここさ帰ってくるつもりはねえし、未練もねえ(名取市・4/15)

1−7.生存への申し訳なさ

 自分が生き残り死者を助けられなかったことを後悔している「声」も4件あり、精神的ケアが今後必要になってくると考えられる。

一人暮らしの母は難を逃れて私の姉宅に避難し、当初は生き延びた喜びを語っていたのに、ここ数日は『死んだ方がよかった』と言ってふさぎ込んでいる。隣人を助けられず、家族に迷惑をかけることを悩んでいるみたい(相馬市・4/7)
逃げようと声をかける間もなかった。申し訳ない気持ちがあります(いわき市・4/9)

1−8.その他

 ペットなど動物との関係について言及した「声」が6件あり、今後、飼い主の被災者の精神的ケアの中で注意深く対応していく必要がある。また、被災者にとって明らかな精神的苦痛となる行為も出始めているようで、「声」は2件と少ないが、行政と市民が、そのような行為が拡大しないよう、早期抑制に取り組む必要がある。

愛猫の○○が津波で死んで悲しい。4年間飼い、パチパチとまばたきするのがかわいかった。地震から4日目、家に帰って見つけた。怖がると隠れる押し入れにいた。庭に穴を掘って埋めた。携帯電話がぬれて写真も見られない。毎日思い出す。これが一番つらい(石巻市・4/15)
1カ月ぶりに、飼い猫の○○に再会しました。この辺りにいるといううわさを聞き、駆けつけました。がれきの近くでちょこんと座っているのを見つけて、号泣してしまいました(陸前高田市・4/15)
被曝(ひばく)検査をしていない人の受け入れを拒否する病院や避難所がある。『福島』と言うだけで差別されているように感じることもある。原発について知らない人が多いのではないか。怖がっている間に、被災者のために行動できることがもっとあるはずだ(二本松市・4/1)

 

2.避難に伴うニーズに関する「声」

2−1.物資・エネルギー関連

1)食糧
 物資関連では食糧についての「声」が11件と最も多いが、不足しているという「声」はなく、徐々にではあるが質、量ともに改善しつつある状況が見受けられる。しかしライフラインが復旧していない地域では、4月中旬に至っても引き続き質の問題が存在するようで、避難所の状況に応じたきめ細かい対応が必要な状況が見て取れる。

スーパーには満足に食料品が置いていない。・・・避難所に配給をもらいに来ている。孫の○○ちゃん(6)に牛乳を飲ませてあげたい(気仙沼市・4/3)
だんだん、配給に野菜や生ものが入ってくるようになったし、足りない物は少しずつお金を出し合って買い出しに行っています。申し訳ないくらいに恵まれています(釜石市・4/6)
配給で毎日、パンとおにぎりが配られる。もらってる身から言えば文句は言えないが、毎日これが続くとつらい。水道や電気、ガスが復旧してないが、できれば自分たちで自炊できるようにしたい(石巻市・4/14)

2)衣類、靴など供
 衣類に関する「声」も引き続き6件あるが、沿岸部で真水がなく水道水が復旧されていない地域では洗濯ができないことが特に大きな課題となっている。

沿岸部で避難している人たちは思うように洗濯もできず、風呂に入れない。内陸にある我が家の小学生から高校生までの孫4人の服を洗濯して、救援物資として持ってきた(一関市・4/9)
地区で唯一残った古い2槽式の洗濯機を発電機で動かし、井戸水を使って洗濯する毎日(石巻市・4/12)
水道が来てないから洗濯が大変。1週間に1回しか着替えないで耐えている(石巻市・4/14)

3)風呂
 3月中には23件みられた風呂や歯磨き等を求める「声」であるが、一部地域におけるライフラインの復旧や、自衛隊等による活動の結果、4月上半期では大幅に減少し4件となった。

電気の復旧も見通しが立たず、風呂も毎日入れるわけではない(陸前高田市・4/10)
地震後、初めてお風呂に入れた。自衛隊がバスで迎えに来て、お風呂が設置された消防署まで運んでくれたのよ。髪洗って、ほらもう、こんな気持ちいいことはない。足の底なんて亀の甲羅みたいになってたんだから(石巻市・4/13)

4)ガソリン
 3月中には24件みられたガソリン不足についても、4月上半期では大幅に減少し5件となった。十二分な供給量ではない模様だが、供給が全くないがために近隣移動さえ難しいといった「声」は4月1日の1件しか見られなかった。ただし、陸前高田では規制が理由で、市内での一般向けガソリン販売ができない事態が続いているとの「声」が寄せられている(報道によれば4月22日に給油所が開設される模様)。

市内のガソリンスタンドは津波で全滅しました。住民はまだほかの地域まで出向いて給油しています。どこでもいいからドラム缶の量り売りで早く営業を再開したいが、許可がなかなかおりません。緊急車両だけじゃなく、一般の人にも量り売りができるようにしてほしい。車を使って家族を捜したい人、病院に行きたいけど行けない人がまだまだたくさんいます(陸前高田市・4/10)
妻と5カ月の娘が、県北の妻の実家に避難しています。私は仙台に仕事があるため、別々に暮らさざるをえません。・・・1週間に1回程度帰っていますが、ガソリンが高く気がかりです
(仙台市・4/14)

2−2.医療、精神的ケア関連

 3月中は相当数聞かれた医療、介護、医薬品に関する「声」が4月上半期では3件に大幅に減少している。医療分野での支援が行き渡った可能性もあるが、医療行為や介護を必要とする人々が避難所から地域外の医療機関等に移動した、あるいは同様の人々への現地取材が極端に減ったなどの理由も考えられ、この結果をもって医療部門の支援はこれ以上必要ないと判断すべきではないだろう。

2−3.生徒・児童・幼児関係

 4月上半期という時期の特性から、今回の調査では、高校生、小・中学生や幼児に関する「声」が大変多く見られた(のべ57件)。

1)生徒・児童の教育環境
 集団避難所から一時避難先への移転等の意思決定において、生徒・児童の教育環境(学校の選択)が大きな影響を与えていることが被災者の声にみてとることができ、計19件の「声」が聞かれた。友人のいない学校への転校に伴う不安が大きく、定住を見込めない一時避難先では度重なる転校や通学の困難も考えられるため、被災地に残る世帯も多いとみられる。

小学生の娘がいる。もうすぐ新学期が始まるが、避難先で学校に入っても、状況次第ですぐに転校ということもあるかも知れない。子どもの負担にならないよう、環境の変化は少ない方が良いが、どうしたらいいのか(南相馬市・4/1)
子どもたちは元の学校に通わせてあげたいけど、海沿いの学校だったので、今は『海を見るのが怖い』と言う(いわき市・4/4)
今は20日の初登校が楽しみ。クラスのみんなに会えるから。でも制服も教科書も流されました。どうなるのかな(大槌町・4/9)
次男と三女がここから通う学校が始まって、まずは一安心です。いまの避難所も今月いっぱいなので、何とか同じ学区内で夫の仕事が見つかればいいのですが(浪江町・4/12)
孫が3人、区域外就学で小学校に通い始めた。避難所から旅館に移れ、という話もあるが、そうすると学校をまた替わらないといけない。自宅に帰れるか、帰れないなら、どこに住むか。私たちはいいが、すべては学校に通う孫中心。早くはっきりさせてほしい(南相馬市・4/14)

2)生徒・児童の友人関係
 被災者の声では子どもを対象とした「声」もとりあげており、本分析でも成人の「声」と同様に分析対象としているが、特に子どもは友人との関係について発言しており、親族による発言もあわせると計17件の「声」が見られた。避難により、親しい友人と突然別れなければならない辛さ、引き続き一緒に勉強などできることの喜びに加え、避難所で新たな友人関係が形成されたことなども見てとれる。今後、転校を余儀なくさせられる生徒・児童が大量に発生すると考えられるが、受け入れ側の学校が万全の体制で彼らを受け入れられるよう、全国的な支援と状況確認が必要だと考えられる。

小学校のみんなと同じ中学校に通う予定だったけど、避難所の近くの学校に通う子もいるかもしれないので、友達がばらばらになってしまう。寂しい(陸前高田市・4/4)
娘の○○(8)が通っている小学校の体育館で避難所暮らしをしています。でもここには、○○の友達がほとんどいないんですよね。中学生、高校生のお兄ちゃんやお姉ちゃんにかまってもらっているようです。学校が始まったとき、どれだけ友達がそろうのか(山田町・4/8)
小学校の卒業式に1日だけ郡山に戻って大親友に会ってきました。その子は郡山に残るのですごく悲しい。クマのキーホルダーをもらいました。早くこっちで友達を作りたいです
(郡山市・4/10)
避難している子ども同士、仲良くなったので、新しい学校・園にも慣れてもらうしかありません(浪江町・4/12)

3)生徒・児童・幼児のレクリエーション
 3月中の「声」と同様、子どもたちが室内外を問わず、なんらかのレクリエーションを必要としている「声」が14件見られた。今後、学校が始まりどのような変化が見られるか、また避難所での共同生活から仮設住宅等での生活へと移行してからどのような変化が見られるか、注意が必要であろう。

避難所で仲良くなった子から借りたけん玉がうまくなりました。いつもやっていた野球がしたいけど、グラブやバットは全部津波で流されてしまいました。見つかった背番号1番のユニホームも泥だらけ。水が出ないから洗えません(七ヶ浜町・4/3)
2歳の長男○○が大好きな番組があるのでテレビを見せてあげたい(南三陸町・4/5)
避難所では、友達と将棋をするのが楽しみ。バスケットのチームに入っているけど、体育館も使えないし、校庭も車がたくさんあって、思い切り体を動かせない。早くバスケットができるようになったらいいな(山田町・4/8)
ポケモンが見たいな。あと自転車も欲しい(南三陸町・4/9)

4)生徒・児童・幼児のその他ニーズ
 子どもに関連する物資についても7件の「声」が見られた。新学期が始まるものの制服等が流されてしまったことのほか、幼児向けのおむつ以外の物資不足、避難所での厳しい環境についても指摘されている。

春から中学校に進学するけれど、新しく買った制服もかばんも流されてしまった(陸前高田市・4/4)
子どもが小さいので、まわりに気を使います。消灯後は2歳の息子がぐずるので30分は外であやします。その間も避難所に10歳の娘を1人で残さねばならず心配です(南相馬市・4/5)
幼児用の服や毛布が足りないということで、支援物資を調達しようとしていますが、情報が少なくて困っています(仙台市・4/15)

2−4.避難所生活関連

1)避難所の環境改善
 3月には避難所生活への疲れ、課題を指摘する「声」が圧倒的に多かったものの、4月上半期では、状況が改善してきたとの「声」が8件寄せられている。また、3月には暖房不足を指摘する声があったものの、4月上半期の「声」では全く見られなかった。さらに物資の供給や環境が整ってきたことに加え、人間関係が形成されてきていることも感覚的な状況の改善に貢献していると考えられる。

ここの生活も快適になってきました。市やボランティアのみなさんに大変なご配慮をいただきましてね。至れり尽くせりです(南相馬市・4/2)
避難生活はすごく大変なイメージがあったけど、ライフラインや物資も整っていて、本当に助かっている。普段から『減災』を意識した備えをしていたし、落ち着いてこれからの長期戦に臨みたい(南相馬市・4/13)
避難所で同じ部屋の人たちは1カ月も一緒だから、ずいぶん気兼ねしなくなった。明るくておもしろい人ばかり。みんなと話すのが一番楽しい(山田町・4/14)

2)プライバシーや気くばりなどからの疲れ
 上記1)とは対照的に、3月同様、避難所生活でプライバシーがないこと、他の人への気配りからの精神的ストレスなどによる疲れの「声」も引き続き、5件寄せられている。また、2−3の4)で指摘したように、乳幼児を抱える親にとって避難所は厳しい環境である。今後、厳しい状況にあると考えられる避難所を特定した上で、人間関係含め重点的な改善支援が必要だと考えられる。

避難所が居心地いいわけないだろ。がんばりすぎて疲れてしまってよ(陸前高田市・4/3)
それには落ち着ける場所がほしい。今は個人の会社に20世帯が居させてもらっているが、集団生活もそろそろ限界です(石巻市・4/6)
東京武道館にいましたが、人見知りなので集団生活に苦労しました(いわき市・4/12)

3)情報不足
 全般的な見通し不足による不安(後述)に加え、避難地域内外での情報流通の不足を指摘している「声」も5件ある。報道によれば壁新聞やミニFMラジオ局開設などの取り組みが始まっているようではあるが、将来の自然災害に向けた備えとして、避難所と行政機関等との間での迅速かつ適切な情報共有の方法論について研究が必要だと考えられる。

市に聞いても、いつ来てくれるのか見通しははっきりせず、途方に暮れています(石巻市・4/2)
避難所にはほかの町の役場の人は来ているのに、大熊町の職員は全く来ない。電話で『情報がない』と言ったら『テレビ見れば分かるでしょ』と言われた(大熊町・4/10)

 

3.原子力災害関係の「声」


 東京電力福島第一・第二原子力発電所における災害の影響は福島県に集中しているため、関連する「声」は被災地全域を対象とした声の中では比較的少数派となってしまうが、災害による放射性物質拡散の影響が拡大したことも影響し、4月上半期の「声」では原子力災害に関連する「声」が多数見受けられる。

3−1.情報公開、見通し明確化への要望

 災害に関する見通しや情報が明確になっていないことに対して、不安や不満の「声」が9件寄せられており、これらを明確にすることを行政や東電に求めている。

いま、みんなが一番知りたがっているのは、いつ家に戻れるかだ。1年後なのか、何年後なのか。新聞を読んでもどこにも書かれていない。これからの生き方を決める上でも、福島第一原発がどのような状況になれば家に戻れるのか、政府は見通しや行程を示してほしい。『分からない』というだけでは無責任だ(富岡町・4/9)
放射能は目に見えないだけに、魚介類がどのレベルにあるのか、自分たちにはわからない。国、東電は自分たちにわかるよう、きちんと説明してほしい(いわき市・4/10)
放射線は目に見えないから怖い。毎日が恐怖だ。・・・村を捨てないといけないのか。本当は危険なのか。全然分からねえ。村民みんなが同じ不安を持ってる。正しい情報がほしい
(飯舘村・4/14)

3−2.一時帰宅への要望

 避難指示が出ている地区の住民は、帰宅が困難となるという認識を持たずに避難してきた方々が多い模様で、一時的であれ帰宅して自宅の現状確認、貴重品の持ち出しなどを強く希望する「声」が9件見られる。

原発の情報がなく、今後の予定もたたないが、一度様子を見に帰ってゆっくり考えたい(いわき市・4/2)
地今後の見通しが立たないので、新しい家を探すこともできずに困っています。このまま避難生活が長引くのなら、一度は私物を取りに家へ帰りたい(南相馬市・4/6)
原発の事故がなけりゃ母ちゃん捜せんのによ。早く捜してやりたい。跡形もなくなっていたって、取ってくる物がなくったって、家がどんななったか、やっぱり自分の目で見たいさあ
(浪江町・4/14)
自宅は福島第一原発の10キロ圏内にある。早く一時帰宅して、大事なものを持って帰りたい。ただ本当に戻れる日は来るのか、不安が大きい(浪江町・4/15)

3−3.原子力災害からの教訓

 今回の災害を受けて、地元住民の立場からの反省、不満、意向などの「声」が7件寄せられている。

原発事故は想定外だとは思わない。自然災害と重なることを地元では一番恐れていた(南相馬市・4/2)
地震と津波だけならば復興は早くできたはず。原発をなくしてほしい(いわき市・4/10)
原発について、一緒に住む父と『安全安心とか言っているけど、そのうち絶対なんかあっぺ』と話していた。自然が猛威を振るったら、人間の力なんて簡単に超える。すべてが『想定外』という言葉ですまされている気がするけど、それで済んじゃうの?と思う(南相馬市・4/13)

 

4.復興とこれからについての「声」

4−1.今後の見通しについての「声」

1)情報不足・方針不透明による不安
 引き続き、復興等の将来見通しや方針が不透明であることへの不満の「声」が、20件が寄せられている。いつになれば自宅に戻れるのか、避難所から仮設住宅等への移転はどのような形で進められるのか、そして原子力災害の影響を受けた地域は今後どうなるのか、などについて地域の人々に明確な道筋が示されていないことが不安要素となっている。これからの仮設市街地・集落の計画づくりプロセスの大きな枠組みについて、中間目標の達成時期を含めて方針を提示することが、(多くの被災自治体は政府の方針を待つだろうから)まず、政府に求められている。また、社員を解雇せずに地元での再建を志す企業もあることから、融資について迅速かつ柔軟な対応が金融機関に期待されるとともに、政府および県は融資および融資保証についての新制度発足に関する判断と実施をきわめて迅速に進める必要がある。

社長は再建すると言っており、早く元の生活に戻りたいけれど、再開が1カ月後になるのか半年後になるのか分からない(八戸市・4/1)
漁協の建物は津波で土台しか残らず、がれきの中から見つかったのは漁協の看板と金庫だけ。組合員の船は24隻が全滅し、1隻が行方不明。政府は早く財政支援の方針をはっきりと示してほしい(八戸市・4/2)
地震と津波の被害から立ち直り、またこの地に住めるようになるには、何年かかるのでしょうか。このまま、ふるさとはなくなっちゃうのでしょうか(いわき市・4/7)
自宅は福島第一原発の10キロ圏内にある。・・・ただ本当に戻れる日は来るのか、不安が大きい。東電は補償をどうしてくれるのか、はっきりさせてほしい。早く、自分たち家族が落ち着いて安心して暮らせる場所を確保してもらいたい。中ぶらりんな日々では、次への一歩を踏み出せない(浪江町・4/15)

2)雇用問題
 3月末に雇用への不安の「声」が出始めていたが、4月に入り、地域の企業が解雇を始めたり、事業が実質的に成立しなくなっていたりする状況にあり、雇用に言及する「声」が27件と急増した。収入がなくとも生活費(ガソリン代)や家賃といった支出は継続して発生しており、結果として新たな雇用を可及的速やかに確保したい意向が強く見られる。工場の全損や関連企業の操業停止により社員をやむなく解雇する企業も多いとみられる。今後の支援においては、緊急雇用対策やいわゆるキャシュ・フォー・ワーク(CFW)などの取組みが必要となる。。

家族を養っていくためにも、何でもいいから仕事がほしい(亘理町・4/2)
仮設住宅の建設が始まったけれど、わざわざ遠くの業者に声をかけるのはやめてほしい。気を使ってくれているのかも知れないが、そんなものはいらない。自分たちは、働く意欲がある。生活もかかってる。いま、仲間を集めて現場へ働きに出たいと思っている(東松島市・4/3)
3月27日からお父さんは仕事で岐阜県に行ったままで、早く帰ってきてほしいです(七ヶ浜町・4/3)
市営住宅に入り、ハローワークで見つけたリサイクル店でパートの仕事をしています。着の身着のままの自分を心配して、社長が商品の中古冷蔵庫と洗濯機を譲ってくれました。(いわき市〔名古屋市の市営住宅に避難〕・4/3)
魚の仲買人やってっから、ここに漁師が戻らねぇと生活はできねぇ(七ヶ浜町・4/10)

3)生活の手段を失ったことの不安、喪失感
 漁船を失った漁業関係者、塩害や放射能汚染の影響を受けた農業関係者のなかには、生活の手段を完全に失ったとの意識が強い「声」が多い。3月中の「声」では、喪失感、無力感が極めて強いと思われるものが多かったが、4月上半期の「声」では、必要なインフラ整備や支援が得られれば再開したいという「声」も若干見られる。いまだ、喪失感の強い漁師、農家、事業者は多いと思われるが、4−3の1)で後述する通り、復興に向けて動き出そうという人々も見られるので、喪失感への精神的ケアと具体的な経済支援を前提としつつ、復興に向けた活動等へうまく巻き込んでいく工夫がこれから必要となるだろう。

ビニールハウス15棟で仙台イチゴを育てていました。収穫の最盛期を前にハウスはおろか、コンバイン、トラクターがすべて流され、自宅の1階も水につかりました。40年近く農業を続けているから、再び農業をしたい。でも、塩害でもう諦めないといけないかもしれず、やりきれない思いです(亘理町・4/2)
おやじの代から養殖をやっているけど、船もいかだも流されて仕事がなくなってしまった。年齢を考えると借金もできないし、一から始めても売りに出せるまで2、3年かかる。その間の生計はどうやって立てたらいいのか。やめるしかない、というのが今の答え。本当は寂しいよ(陸前高田市・4/5)
船は無事だったが、倉庫を津波でやられた。高価なイカ釣りの機械を失ったのが大きい。地震保険に入っていなかったので、保険金も出ない。自宅をやられるより痛いね(石巻市・4/14)
23年間経営していた水産加工会社は津波ですべて流された。再建の見通しが立たないから、従業員も解雇するしかなかった。冷凍施設や加工設備さえあれば、もう一度やり直す腹は決めている(山田町・4/14)

4−2.今後の住まいに関する「声」

1)地域に残りたい、地域への愛着
 3月中の「声」と同じく、できるだけ地域に残りたいという希望の「声」が9件ある。4月上半期の被災者の声では、すでに地域を離れて千葉や東京に滞在している人々からも「声」が拾われているが、1−6で示した「津波への恐怖感」以外には地域を離れたいという「声」はなく、震災前から首都圏や都市部へ転居する意向があったわけではない被災者たちは、地域にはできれば残留したい要望が強いとみられる。また地域への愛着を表現した「声」も7件みられる。これらの意向は避難経験を通じて形成された連帯感(1−2参照)によって強化されていると考えられる。

住む家を探してもらっているが、元の場所にバラックを建ててでも住み続けたい(いわき市・4/6)
でも、ここの風景が大好きなので、海を見下ろせるこの場所で暮らしたいと思います。村役場の職員なので、自分が動くことで村が元通りになってほしい。そして、娘たちのような若い人がどんどん戻ってくる街にしたいと思っています(田野畑村・4/7)
将来建築士になってこの地に一つでも多くの家を建てたい(いわき市・4/10)
40年近く住んでいるこの町が、私は本当に好きです。だから絶対にもう一度再起して、そば屋を開きたい。恩返しとして、お世話になった人たちにそばを振る舞えたらいいなと思っています(釜石市・4/15)

2)仮設住宅(応急住宅)が必要
 上記の地域残留意向の強さ、また避難所生活へのストレス(2−4の2))などから、仮設住宅の迅速な供給を望む「声」も強く、7件ある。うち、被災前の集落の人たちがまとまって住みたいという要望が2件みられ、仮設住宅の「まちづくり」については、1−2で指摘した地区や集落の連帯感を尊重した計画づくりが必要である。

仮設住宅を早く造って頂き、できれば地区の顔なじみの人たちと一緒に移り住みたいです(山元町・4/4)
市から紹介された無料で入れる住宅はあまりに不便な場所なので、断りました。自宅になるべく近い仮設住宅に移ることが、いまの望みです(北茨城市・4/9)
いまは親戚のところに世話になっているので、仮設住宅の建設を早くやってほしい。永住できるところを探したい(山元町・4/12)

4−3.産業復興に向けた「声」

1)事業再開に向けた気力のあらわれ
 4月に入り、避難から復興に向けての転換期となり、事業者は今後の方針について検討を始めたところであろうが、復興に向けて事業を再建したいという声が26件ある。3月の「声」では、4−1の3)のように、すべてを失ってしまったという喪失感が強く見られたが、4月上半期の「声」では事業を復活させるために具体的に動き出そうという発言が多くみられ、そのような発言が具体的な行動へとつながるために、阻害要因を取り除き、融資などを通じた適切な支援が必要とされている。

四倉町はいつまでも悲しんでいません。必ず復興します(いわき市・4/1)
浸水した店舗兼住宅から泥をかき出して、やっと仕事を再開したところ。八戸漁港の館鼻岸壁では3月13日から日曜朝市が始まり、そこに菓子の露店を出す予定だった。だが、岸壁には津波で漁船が何隻も転がり、いまだに開催のめどが立たない。早く復旧してほしい
(八戸市・4/4)
大事なのはやる気だべ。ここからはい上がる人も、落っこちる人もいる。でも、わしらは一人じゃねぇっちゃ。自然もすごいけど、人間もすごいっちゃ。昔から何度も立ち上がってきた。また何年かしたらここに来てな。必ず、ここを元に戻してやっから(七ヶ浜町・4/10)
家や事務所は津波で流された。水門や定置網の状況を知りたいと仕事の依頼が入っている。道具は全部流されたが、山形や新潟の同業者からかき集めた。知人は被害を受けていない場所に事務所を作るというが、電柱が立って電気・電話がくれば事務所を立ち上げられる。2、3カ月かかってもいいから、同じ所で復興したい(石巻市・4/13)
小さい頃から父の仕事(ホタテ養殖業)をずっと見てきた。今でも継ごうと思ってる。またきれいな海に戻ってほしい(女川町・4/13)

2)暫定的な事業の芽生え
 事業再開に向けた具体的な準備を始めている、またすでに小規模で始めているという人々の「声」が7件見られる。これは被災地が、避難から復興へと段階が移行しつつあることを意味する。将来の復興計画の青写真との調整で問題が起きる可能性があるとはいえ、これらの人々は地域において事業再開に向けた気力を持った人々であり、復興計画がないことを理由にこれらの芽を摘んでしまっては、都市・地域の将来の発展可能性を削ぐことになる。計画との調整は重要ではあるが、事業に挑戦する人々のやる気を上手に後押しすることは、復興に向けた人的資源の発掘にもつながるだろう。

津波で流された自宅の向かいで、震災5日後から青空八百屋をやってます。市場の社長に品物を回してもらって、最初は菜っ葉ときのこ、長芋を並べました。買い物に行けずに困っていた人が大勢来てくれて、泣きながら売った(気仙沼市・4/7)
いつ商品がつくれるようになるかめどは立っていないけれど、従業員は全員無事で、ボランティアで片付けを手伝ってくれています。建物が残ったからには、再建に向けてがんばりたい
(陸前高田市・4/10)
南相馬市内で川俣シャモの串焼き店をやっているので、命の次に大切な『たれ』は車で持ち出した。・・・南相馬が立ち入り禁止となることも想定して、どこで営業再開するかを考え始めている(南相馬市・4/14)

3)風評被害
 風評被害については4件の「声」が見られる。懸念は見られるものの、出荷において具体的に何か被害が起きているという「声」はない。ただし、対象者属性を見ればわかるように、4月上半期は茨城県からの「声」が少ないため、掲載がないことをもって風評被害が起きていないと判断すべきではない。

定年後に農業をしようと農機具など設備投資をした。借金の返済や、『福島のコメは汚染されている』といった風評被害が出ることが心配だ(浪江町・4/3)
漁師だから、放射能の魚への影響が心配。風評被害も心配だ(大船渡市・4/15)

4−4.その他

1)復興支援・原子力災害補償
 復興に際して支援が必要であることに言及している「声」は7件ある。また、原子力災害による被害を受けている方々から、東京電力による補償について3件の「声」がみられる。

自立するためには家が必要です。政府には将来設計の手助けをしてほしい(いわき市・4/6)
避難所での生活が長くなればなるほど、金銭面の苦労が出てきました。夫は大工、長男は土木作業員ですが仕事がありません。義援金を早く渡してほしいですね(葛尾村・4/15)
個人の力では限界があるので、市が私たちの代表となって東電と補償交渉をしてほしい(南相馬市・4/15)

2)ハンディキャップを抱える人々への支援
 4月上半期でも3月同様、身体的ハンディキャップを抱える人々が災害復興に関わることの難しさに言及した「声」が3件ある。

夫婦2人暮らしで私は腰が悪く、家の片づけが進みません。早く室内に積もったヘドロを取り除きたいのですが、水道が通らず、ホースで流すこともできません。(石巻市・4/2)
雄勝が好きだから離れたくないけど、タンカーの機関長だった2年半前に脳出血で右半身が不自由になり、この体では残るのが無理。兄貴が関西へ行って一緒に住もうというから、今月に移るだろうけど、寂しいねえ(石巻市・4/7)